私は生まれも育ちも大阪です。

大した目標があったわけでもなく、自分の将来が見えないまま運良く大学を出て自動車販売会社に就職。おしゃべりで自動車が好きな私には天職に思えてました。
営業でナンバーワンになったる!男は仕事が一番!と思い込みがむしゃらに突っ走ってました。

その甲斐あって営業成績も良い感じで同期より早く肩書きも付いたし27歳でちこ太郎と結婚。
周りからは充実した生活に見えていたかもしれません。しかし、このまま定年まで働いて肩書きはこうで、年収はこれくらいかな?
等と しなくて良いシミュレーションをしてみると、なにか別の生き方ができないもんかと考えるようになってました。

しかしこれといって資格も持ってないしこれがやりたいというようなものもないし。
悶々とした状況で転職をほのめかした私に、ちこ太郎は止めるどころか待ってましたとばかりに
「人生はどう生きても一度きり。楽して儲かる仕事なんかないし、
どっちみち転職してしんどい思いをするんなら北海道に移住して馬と暮らそう!」と爆弾発言。

転職=北海道+馬? こんなたわけた提案が現実のものになるわけはないんです。普通であれば・・・

「農家にならないか?」と衝撃的なキャッチコピーのついた雑誌の記事を発見。
田舎で未経験者の新規就農を受け入れているという内容でした。当時はインターネットなどまだ普及しておらず、パソコンも持っていなかったので大阪では情報が得にくいという口実をつけ‘91年5月に下見がてら北海道初上陸。

しかし、札幌の農業会議をはじめ、訪ねた受け入れ窓口では「やる気はあるが、農業経験なし・知識なし・資金なし」という農業版ヘレン・ケラーの私達に対して前向きな助言は得られず、
農業を取り巻く厳しい現実や実習中に夢と現実の差を痛感して都会に帰った人々の話を聞かされるにとどまりました。

北海道農業を知る今となればどれだけ無茶な訪問であったのかが解りますが、当時は本当に無知でした。

甘い話はやっぱりないとただの観光客と化した私達はそれでもかすかな望みを持ちながら北海道内をうろつきました。
初めて見る北海道は強烈に魅力的でした。こんな青い空を見ながら暮らせるならどんな苦労をしてもいいと思わせるものでした。

その後立ち寄った弟子屈町(摩周湖・屈斜路湖のある町)で知り合ったS氏から「夫婦で馬の繁殖をしてみないか?もちろん一から教えてあげるから。」との誘いを受けたのです。

10日間実際の仕事を見せてもらい、色々話し合った結果S氏に全てを賭ける決意を固め、気が変わらぬようにと家賃1万円の借家も決めて帰阪しました。

住み慣れた町や多くの友人知人に別れを告げるのが寂しいなどと最後まで女々しかった私と、
なんとかなるさGOGO気分のちこ太郎が移住を強行したのは ‘91年7月でした。

今思えば立案から実行まで半年もかけない無謀極まりない行動でした。

でも何かを始めるときにはかなり細かいところまで調べなければ気がすまない自分の性格を考えると、インターネットで情報が氾濫しすぎている今なら移住していなかったのではないかと思ってます。

つづく

ブログランキングに参加してます。バナーをクリックしてちょ。
banner_02.gif ←