弟子屈町は摩周湖・屈斜路湖があり、観光と酪農が主産業の温泉地で人口は約9000人。
S氏からすぐに馬の仕事が軌道にのる訳も無いので仕事を探しなさいと言われ求職中、
国立病院の募集を発見。(こんな過疎地によくあったもんだ)

毎回10倍くらいの競争率だから厳しいといわれたのに、採用通知が来てびっくり。
大卒という学歴が評価されたかなと思っていたら後で聞いた話、その時の応募者が
私1人だったらしい。まあ運も実力のうちということで・・・

ちこ太郎は馬の知識を授かることを条件に、無給でS氏の牧場の手伝いに足繁く通っていました。

当時、馬産振興という名目で北海道和種馬(通称ドサンコ)1頭につき国から30万円の補助金がもらえることを聞いていたのと自分の馬を持つことで勉強にも身が入るといわれ2頭のマイホース
(吹雪姫と白菊姫)を60万円で手に入れ順調な毎日を送っていました。

しかし、冬を前にS氏の態度が豹変。例の補助金も自分の分しか申請しないと言い出し、
訳のわからない請求書を送ってきたりしだしました。
近所の人に相談してみると、S氏は毎年夏の繁忙期にタダで手伝ってくれる人を連れてくることで
悪名の高い人物だったのです。

「ドタマかち割ったろか!」と恨んだけど結果は悪かったけど移住のきっかけを作ってくれたんだと
プラスに考えるように努めました。
早いうちに嫌な目にあったおかげで、その後の生活は楽しいったらありゃしない毎日でした。

大自然に囲まれた生活の素晴らしさと共に、釧路沖地震(おしっこちびった)や吹雪での
看護婦長の凍死など自然の怖さも実感させられました。

初めての馬の出産(桃ちんともう1頭)を終え、離農跡地の購入も現実化し、大阪とは比べ物にならない充実した日々が2年近くながれました。

大阪弁が変わらない以外は地域にも溶け込み、弟子屈町での永住に自信がついてきたところに
また難問が・・・
国立病院の統廃合問題に巻き込まれ、待遇を下げられたあげく数年後には病院廃止が決定したのです。

馬の仕事が幻に終わり、病院も無くなることになって弟子屈町にこだわる必要がなくなったのです。

こちらに来てから分かったんですが十勝地方は晴天率が高く、移住者も多いということで再移住先を十勝に決定。

十勝毎日新聞という地方紙を定期購読し郵送してもらって職探しをしました。
馬を連れての移住ということでなかなかいい職がなかったんですが、ある日の求人欄に
「牧場経営者募集」という衝撃的なコピーを発見。

滋賀県のあるJAが経営母体で生後1週間のホルスタイン種(白黒模様の牛)のオスの子牛を半年育てて出荷していくという雇われ牧場経営者でした。

牛に触ったことも無い私でしたが経験は無いほうが教えやすいらしいのと馬を飼っていること、そしてなによりちこ太郎が動物が好きで子牛にミルクを飲ませるアルバイトをしていたことが決め手になり採用されました。

いざ 十勝へ!   つづく


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